「日本史についてのメモ」

 

      2021年 2月

 

      まだ コロナは収束していない。

      ヒマなので またユーキャンの通信講座を受けている。

      「大人の学び直し 日本史講座」という講座。

      

      誕生日に 12冊一度に送られてきて・・・

      すでに読み終えてしまった。 なんだか もったいない(笑)

      興味深い時代 事柄は とても楽しくよめたし

      あまり興味のない部分は ざっと読んだり~ 自由に学べる。

      歴史自体は もちろん変わりはしないのだけれど

      後世の人々の過去の時代の解釈は 変化している。

      NHK大河ドラマでは 先日までは 光秀の生涯を描いていた。

 

      私は戦国時代は苦手で人名も覚えられない。

      戦国時代ではなくても 武士が現れてこない時代でも

      ずっと戦はあったわけで 今は まあ 国内の武力による争いはないので

      平和な時代なのだろう。

      それでも 自然や動物やウイルスなど あらゆる脅威は消えてはくれない。

 

      前置きが長くなったけれど

      このテキストを学習して 印象に残った部分 あっと驚いた箇所などを メモしておきます。

 

     このテキストでは おおまかに 4つの時代に分けて

     一冊のテキストで それぞれの時代が少しずつ描かれています。

 

      第一章  原始・古代編

      第二章  中世・戦国編

      第三章  江戸編

      第四章  近・現代編

 

    まずは テキストの原始・古代編から 始めて知ったことや 覚えておきたいことなどを

    私なりの解釈で まとめて 記録しておきます。

    このテキストの解釈が 絶対ではないし 私の勝手な思い込みもあるだろうし

    誰にも何の役にも立たないと思われますけれど。。。(笑)

 

   

 

   まずは 「原始・古代編」から

   

   地球の歴史は 46億年。

   直立二足歩行の猿人が現われたのは 500万年前。

   新人(現生人類) は20万年前 アフリカで誕生

 

  日本では 

        旧石器時代 約4万年前から 

        新石器時代 約1万6千年前1万2千年前

          日本ではこの時代を 縄文時代と呼ぶ(1万年間続く)

        弥生時代 紀元前4世紀

 

  日本が大陸から分かれたのは・・・1万年程前 更新世~完新世(以前は 沖積世と呼んでいた)

                       氷河期が終わり 地球温暖化により海面上昇の為。

 

  大和王権拡大と五王の時代

     

    古墳時代・・・・・3世紀~7世紀

 

    仏教伝来について

 

       正式には 仏教公伝と言うらしい

       6世紀中頃 百済の聖明王が同盟国である 倭国の欽明天皇に

       仏像と仏典を贈ってきた。(新羅が百済を攻撃するのに倭国が援軍を出した見返り)

       

      当時の倭国の人々にとっては 「仏」とは単なる異国の神であった。

      崇仏派 (仏教容認)と 排仏派とに分かれていたが

      崇仏派の蘇我馬子が 俳仏派の物部氏を破った後 飛鳥寺が造営された。  

       

    飛鳥時代

        

      推古天皇(蘇我馬子の姪)が592年に即位してから 平城京に移るまで。 約120年間

      

    遣隋使  600年

          

           607年   小野妹子

 

    聖徳太子   601年 斑鳩に法隆寺を建てる。

 

    大山陵古墳  5世紀築 仁徳天皇陵とされてきたが 仁徳天皇は4世紀の人。

 

    法隆寺     聖徳太子一族(上宮王家)の氏寺

              世界最古の木造建築

 

    乙巳(いっし)の変    645年  中大兄皇子中臣鎌足が 蘇我入鹿を暗殺

    (大化の改新)       646年 孝徳天皇が 難波宮に遷都)

 

    *私の習った頃は 大化の改新 むしごろし 645年と覚えたものだけれど

     今は 乙巳の変が 645年のようだ。 また解釈が変るかもしれませんね。

 

   壬申の乱  大海人皇子が大友皇子を倒し

           天武天皇となる。 飛鳥浄御原宮遷都

 

   高松塚古墳  1972年 壁画発見 8世紀初め頃? この壁画が発見された当時 とても話題になったのを覚えている。

   

   飛鳥時代は 約120年間 続く。

 

    

    遣唐使  702年 30年ぶり

          初めて「日本」を名乗る。

 

    和同開珎   708年 8月29日 ( 和銅 元年 8月10日 )

             和銅が発見されて 初めて作られた。    日本で最初の 流通貨幣

        *1300年以上も前の貨幣なのに 現在でも 気軽に売買されているのは不思議。

 

   奈良時代

    

    平城京 元明天皇  国・郡・里  戸籍  土地は公有。

 

 

    太安万侶の墓発見   1979年 奈良市郊外の茶畑。

              *このニュースは 覚えてないけれど わくわくするような大発見だったことでしょうね。

 

    木簡   当時紙は貴重品。

             木簡とは運送する荷物に付けられた荷札や 物を収納する櫃の中身の荷札。

             雨にも負けず~ 文字を削り取って 再利用。

 

    仏教国家の弊害

             道鏡が称徳天皇(女性)の寵愛を受け 政権に口出しするようになる。

             和気清麻呂が阻止し 失脚させる。

 

             光仁天皇は 天智天皇の孫で ここから 天皇が 天武系から天智系へと移る。

             光仁天皇・桓武天皇は 仏教政治を改め 律令政治へ回帰。

             桓武天皇は 784年 長岡京を造り始めるが 造営が進まず。(暗殺事件・洪水など)

 

   平安時代  794年

 

             桓武天皇は仏教政治と決別を意図。

             平城京の寺院を平安京へ移転するのを阻止。

             羅生門の左右に 東寺と西寺を建てただけ。

             その後には 清水寺(坂上田村麻呂)が初めて建てられた。

 

 

              日本史上初の幼帝   858年 清和天皇 9歳

            藤原氏は 政敵を追い落とす。摂関家となる。

               伴 善男  排除し

               菅原道真・源高明 を太宰府へ

           御堂関白記  藤原道長の自筆が残されている。

 

           摂関政治 10世紀後半~11世紀

                  摂政  天皇が幼少の時 補佐する。

                  関白  天皇が成人してから。

 

          国風文化の発展

                 中国から輸入していた文化を和風化。

                 カナ文字  和歌  古今和歌集

 

   源氏と平氏       臣籍に降下した皇子・皇女に天皇が贈った姓

          醍醐源氏  源 高明    後醍醐天皇の皇子

          桓武平氏  平 将門

     

         藤原道長 長女  彰子  一条天皇の中宮

                次女  研子  三条天皇の中宮

                三女  威子  五一条天皇の中宮

 

         清少納言は 定子(道長の兄・道隆の娘  一条天皇の皇后)

         紫式部は  彰子(道長の娘        一条天皇の皇后)

    

        中宮と皇后は 始めは別の意味合いで使われていたが その後同じ意味となる。

 

   東大寺 正倉院

       正倉院は平城京以外にも 全国各地に存在していた。

       主な物 聖武天皇の77日忌 756年6.21 光明皇后が献納した 天皇遺愛の品

       総数 9000点以上

       写経所  反故となった戸籍を記録用紙として再利用していた。

             戸籍は 6年ごとに作成し 30年間保存。

   

    院政期

      後三条天皇は 藤原氏を遠ざけ 荘園公領制とする。

      白河天皇   院政を始める。 3代の天皇にわたる。

      院政期  白河上皇~後白河上皇 約100年間

 

 

   武士の台頭

      保元の乱   後白河天皇 (源 義朝・平 清盛) 対 崇徳上皇

               崇徳上皇は破れ 讃岐へ

      平治の乱   信西(しんぜい)(平 清盛) 対 藤原信頼 (源 義朝)

 

     * 保元の乱では   義朝と 清盛は 味方だった。

     * 清盛は 後白河法皇を鳥羽殿に幽閉する。

 

 

    安徳天皇即位  1180年 清盛の娘・徳子と高倉天皇の子

    福原遷都     半年間だけ

    大仏殿を焼く

    清盛急死  1181年  

 

   東寺百合文書  

         東寺は796年に建てられる。東寺は大荘園領主だった。

         百合文書には 奈良時代から江戸初期までの文書が保管されていた。

            寺内で行われた会議の記録

 

         *荘園制度は終わるが 江戸時代に地誌・歴史の研究が盛んになり 古文書を残していた。

 

         * 加賀藩5代藩主・前田綱紀が 1685年に 100個の桐箱を寄進した。(資料保管の為)

           この桐箱を 一合・二合と数えたことから 百合文書と呼ばれる。

 

 

   * 私がこのテキストを読んで

     始めて知って驚いたことは 色々あるけれど

     特に印象に残ったのは

     藤原道長の直筆の日記が残されていることと

     東寺百合文書の存在です。

     学校で細切れに習った日本史ではなく

     大きな流れとして とらえることができたように思えます。

   

 

 

 

      

 

 

 

   

   

         

 

      

 

  

 

 

 

 

   

      

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